漢字に興奮♪ 〜『學』の字に想いをよせて…〜
渡辺 弘美(杉戸町)
幼稚園の年中クラスに、元気に通う三女のちひろは、ダウン症です。
来年に控えた就学について、想いを巡らせることが増えました。知的障がいの娘にとっての「学校」を考える時、頭の中は「勉強」の文字でいっぱいになります。以前はそれほどにも感じませんでしたが、最近では「勉強」という言葉が浮かぶと、気分が悪くなり、なぜか?ふっと漢字の意味(語源)を知りたくなりました。中国語にも「勉強」という言葉があるそうですが、なんと「@ 無理をすること」「A もともと無理があること」の意味しかないとのこと(*)どうりで、苦しい想像しかできないはず・・・。
一方「学ぶ」は旧字で「學」と書きますが、この旧字の語源が実に意味深長で、興奮しました♪
「學」とは、イラストにあるように、子どもが建物(わかんむり:校舎)の中心に居て、学問や文化との交わり(メ)、仲間との交わり(メ)があり、それを大人が導き、両手で守っていることを意味しているのだと。(*)では新字体となり日常使われている「学」はどうでしょうか?重要な「わかんむり」の上の部分に注目してみると・・・学問も仲間も交わるどころかそっぽを向き、導き守る大人の手もありません。まさに今の「学校」の問題を表現しているようで、恐いくらいです。そして「無理をする」「勉強」が幅をきかせ、子ども達を貧しくさせているように思えます。
もうじき春、就学のシーズンです。障がいの有無に限らず、どの子も地域の子どもとして、当たり前に地域の学校にあがり、たくさんの友達と「學ぶ」楽しさを経験して欲しいと思います。
「學び」には子どもを豊かにする、ドキドキわくわくの発見と過程があります。そして、どの子にも學ぶ力はあります。それは、「勉強」につきまとうような点数や、できる・できない、ついていける・いけないなどという、ちっぽけなモノサシでは決して計ることなどできないものです。
漢字へのこうふん(興奮♪)冷めやらぬ中、「学校」が「學び」の場を回復できるよう、問い続け、固い門をたたき続けたいと、しふん(私憤!)も交えながら、ちひろの就学に対して思いを新たにする今日この頃です。(*)佐藤学/著『「学び」から逃走する子どもたち』
(「月刊わらじ」2010年3月号より)