私のわらじ史
石川孝子(春日部市)
春日部に住んで35年になります。わらじの会が発足して30年になるのですね。
私がわらじの会に出会ったのは、25年位前で春日部か武里か覚えてないのですが、本屋さんにわらじの会報が置いてあって、それを読んだのが知り合うきっかけだと思います。
あの頃は、しげりのことで悩み人目を避けて、このままではいけないと思いつつも、外に余り出せないでいました。初めてしげりとわらじの会に行った時、障害のない人もある人もいろんな人がいて、手作りのせっけんを作っていたり、にぎやかで楽しそうでした。
こういう世界もあるのだなと思いました。しげりが2年生の時、養護学校にはなにも問題はなかったのですが、学校は遠く地域に存在がなかったので、地元の小学校に転校を決めました。転校届けをだしても認めてもらえず、県の教育局や市の教育委員会とも何度も話し合いを持ちました。その度にわらじの会のたくさんの方に支えて頂きました。だから親子でがんばれたと思います。
しげりの中学校の卒業式の日に、クラスの子が、しげりちゃんと出会って、自分と同じ歳で障害の重い人がいることを知り、社会にはいろいろな人がいることをしげりちゃんに教えてもらいました、とサイン帳に書いてくれました。そう思ってもらえてうれしかったです。
わらじの会で思い出すのは、家族皆で手伝いに行った夏のバザーです。たくさんの品物や人がたくさん来てすごかったです。今でも子供達は覚えているみたいです。宣伝カーに乗ったり、あんこさんやちあきさんとこのお子さん達とよく遊んでいました。
わらじのクリスマス会で、夫がギターの弾き語りをしながら、皆さんの前でなん曲か唄ったことがありました。そんなことも20年前にあったのを思い出しました。
わらじ史を書くことになり、いろいろなことを思い出し、なつかしかったです。
(「月刊わらじ」2010年5月号より)