教育の欠格条項をなくす会準備会
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4.11 教育の欠格条項をなくすシンポジウム参加者一同

障害者基本法の改正に関する申し入れ

 障害があることによって分け隔てられることなく、あたりまえに学び・働き・暮らせる社会の実現へ向けて、日々ご尽力いただき感謝申し上げます。
 わたしたち「教育の欠格条項を考える会準備会」は、原則分離を基本とした現行の学校教育制度を教育の問題としてだけではなく、障害者に対する差別の問題としてとらえ、障害者団体や親の会、学校関係者などによる共通の土俵をつくり、論点を整理し、国に対して大きな声にしていくことを目的に、昨年の障害者政策研究全国集会を契機に集まりを持ち始めました。
 一昨年、学校教育法施行令等が改訂されましたが、例外規定として「認定就学者」が位置付けられたとはいえ、「施行令22条の3」該当の障害のある子どもたちについては、「盲・ろう・養護学校で就学すべき子」つまり「小・中学校にいるべきではない子」というレッテルを張られ続けていることに変わりはありません。問題は、国が障害のあることにより、「あんたはここにいちゃだめ」と言っているそのことです。教育の場での分離主義が、「障害者は特別な場で生活する人々」という意識を社会に植え付けていきます。そもそも公立小・中学校は地域に住む、すべての子どもの学校であるべきで、「障害がある子は除く」という学校教育法施行令(政令)やそれを規定している学校教育法等は、障害者の排除を謳っているという意味では欠格条項として批判されるべきものと、私たちは捉えております。
 文部科学省は〔特別支援教育〕として「個別の支援計画」や「特別支援教育コーディネーター」などの新施策や、「特別支援学校」や「特別支援教室」などの新たな構想を打ち出しています。そしてそれらの構想の具体化として、中央教育審議会に諮問し、学校教育法など法改正へ向けた一歩を踏み出しました。しかし、《原則分離》の問題を曖昧にしたままでは、更なる混乱や差別を助長することは容易に想像できます。この先、法改正へ向けた議論が進む前に、現状の差別(分け隔てる教育)の問題をしっかり指摘しておく必要があると考えております。
 さて、教育関係の法改正に先立ち、現在国会では今後の障害者施策の骨格となるべき「障害者基本法」改正案が上程されております。特に教育関係の条文については、今後の学校教育法等の改正にも大きな影響を与えるものとして、注目してまいりました。「4.11 教育の欠格条項をなくす会シンポジウム」では、シンポジストや参加者を含めた議論・その経験の中から、<分け隔てられることのない、共に育ち学ぶ教育なくして、共に生きる社会は実現できない>ことを確信することができました。そこで集会参加者の総意として、以下「『障害者基本法』改正案への修正意見」を提出させていただきます。
 修正が困難な場合には、その趣旨をお汲み取りいただき、所轄の内閣委員会において、委員の皆様の意見表明と附帯決議の採択が行われますようよろしくお願い申し上げます。

「障害者基本法改正案」に対する修正意見

(基本的理念)

第3条
2 すべて障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が与えられる
《加筆・訂正》
 ↓
2 すべて障害者は、社会を構成する一員として、分け隔てられることなく、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する権利をもつものとする。

《理由》

国際障害者年以降「完全参加と平等」が語られてきましたが、」あらゆる領域に障害者用の特別な場(障害者のための学校や、働く場、スポーツ施設など)を用意することとして進められてきたように思います。
その結果確かに障害者も様々な活動が可能にはなりましたが、どこまでいっても一般の人との接点はもてず、相変わらず「交流」や「ふれあい」が事業として組まれるのみといった実態があります。
単に様々な活動が可能になったということだけではなく、これからは「分け隔てられることなく」という考え方を新たに盛り込むことが非常に大切なことと考えます。そのことによって単に「障害者施策」を整えるだけではなく、一般の学び方、働き方、暮らし方などを、障害者を排除しないものとして、社会全体の問題として問い直していく方向が出てくるのだと思います。また障害者を主体としてとらえるのであれば、「権利をもつ」という表現にすべきと考えます。


(教育)

第14条
3 国及び地方公共団体は、障害のある児童及び生徒と障害のない児童及び生徒との交流及び共同学習を積極的に進めることによって、その相互理解を促進しなければならない。
《訂正》
 ↓
2 国及び地方公共団体は、障害のある児童及び生徒と障害のない児童及び生徒との共に育ち学ぶ教育を積極的に進めることによって、その相互理解を即心身なければならない。

《理由》

当初案の「交流教育」が、「交流及び共同学習」に変わったことは一定評価できますが、あくまで「交流」は教育の場を分けられている現状があるからこそ必要な取り組みとされているのであり、今後の障害者施策の基本として、目指すべき方向を示すものとしては、分けられたものを一緒にすることよりも、分けないということに軸足を置くべきだと考えます。また、「共同学習」は新たな概念であり、その中身が何なのかよくわかりません。分け隔てられることのない教育としての<共に育ち学ぶ教育>を原則として位置づける必要があります。分けられた学校の先に、分けられた職場や分けられた暮らしがあるのは当然の帰結です。脱施設が今後の障害者施策の基本として打ち出されていますが、共に育つことなくして共に暮らせる地域社会はありえません。障害を理由に一方的に分け隔てられている現状の学校教育制度の見直しを促すものとして、「共に育ち学ぶ教育」という一歩踏み込んだ記述が必要です。