わらじの歴史を簡単にまとめてみました。現在まだ建設中なのでリンクしませんが
    予定では跳びまくるので乞う御期待

1978.03 わらじの会結成
   08 「川口とうなす会」と合同で伊豆合宿   
   12 第一回「クリスマス会」    
1979.08 日立で合宿。障害児者を地域に戻す会と交流
1980.08 スウェーデン福祉体験旅行
1981.04 「はばたく家準備会」結成/武里南公民館を拠点に活動開始
   12 スウェーデンRBUを招き県内各地で交流
1982.04 「めだかの会」移動ショップ発進
   09 田口由利子さんに短期介護人派遣される
1983.03 「はばたく家準備会」、越谷市役所玄関で署名活動開始
   05 「めだかの会」福祉の店開店
   10 「リサイクル・パタパタ」オープン
   11 「誰でも使える駅を作る会」第一回実地調査
1984.05 草加市、田口由利子さんの介護人派遣打ち切り
   06 新坂光子さん自立生活演習
   12 春日部市役所まで車椅子行進し要望書渡す
1985.03 「体外受精を考える会」、越谷市役所に質問状提出
   06 「風の子」、廃品回収事業始まる
   07 糸賀さん「小さな童話賞」もらう
1986.03 新坂姉妹へ給食サービス始める
   04 「風の子」味噌作り、コアラ石鹸作り
   11 「パタパタ」、子供向け古本屋に変身
1987.02 第一回「総合県交渉」
   05 石川しげりさん、越谷養護から地域の学校へ
   07 「トムテ」開店
   09 わらじの会独自の有料ケアシステム作る
1988.00 草加駅に誰でも使えるエレベーター設置
   05 障害児の高校入学求め知事応接室に3泊4日
1989.05 自立センター作りを目指すバザー
   06 パタパタを自力解体。新パタパタに移転
1990.03 新坂姉妹分家建てる/生活ホーム「オエヴィス」発足
   04 「ケアシステム・わら細工」発足
   05 「v365」受け入れ開始
1991.12 「ぶてぃっく・ぶあく」オープン
   12 JIL発足。「CILわらじ」として加盟
1992.01 「わらじ自立生活センター総合協議会」行う
   02 社団法人「埼玉自立生活協会」設立
   05 ノーマライゼーションを求める「県内巡礼」開始
    春日部市障害児者実態調査が問題化
   09 「こばと館自立生活体験プログラム」始まる
1993.03 「なかまのつどい」結成
   04 春日部市「全身性」共同活用で専従介護人を確保
    「ぶあく」店員ミニ合宿
   12 「ぶあく」、二階から平家にリニューアルオープン
1994.10 福祉法人「つぐみ共生会」認可
1995.04 「ディケア・パタパタ」オープン
   10 生活ホーム「もんてん」オープン
   12 くらしセンターべしみ(通所授産施設)」開所
1997.*** 「共同連」、埼玉で開催
   11 「CILわらじ総合協議会事務局」発足
1998.04 わらじホームページ企画開始
1999 越谷が知的障害者介護人派遣事業開始。
県の委託で東部地域のバリアフリー・マップ情報を整理。
元荒川土手でソウルフラワー・モノノケサミットライブ
2000 越谷市で「就労・生活援助検討準備会」が発足し、
市の各部局と当会の参加する「障害者の職場参加を考える会」がメンバーに。
2001 社団法人埼玉障害者自立生活協会の事務所が会内に移転。
2002 情報センター「かがし座」開設(春日部市大場)。
社福つぐみ共生会が越谷市より障害者生活支援センター「苞」を受託(越谷市北部市民会館内)。
2003 「克己絵日記2」出版。
春日部・越谷両市・社協一堂にて支援費意見交換会。
2004 職場参加を考える会がNPO法人職場参加をすすめる会となり「世一緒」開設。
2005 越谷市障害者就労支援センターが発足。NPO法人すすめる会が運営を受託。
2006 埼玉県議会が「共に学ぶ環境整備を求める意見書」を全員一致で採択。
2007 社福つぐみ共生会が春日部市より障害者生活支援センター「えん」を受託。
2008 防災街づくりめさし山田太一・小室等両氏招いて「ゆめ風ライブIN越谷」


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用語説明

□わらじの会:

□川口とうなす会:

□クリスマス: わらじ設立次以来、続いているイベントの一つ。
毎年12月に行われ普段仕事等が/忙しくわらじの活動に参加しにくい人たちが多数参加してくれるので交流の意味も含めて非常に大きなイベントと言える。
クリスマスプレゼントは一般企業を回りカンパ品でまかなわれている。
最近の好評なプログラムとしては、一つに女装コンテストがあげられる。
毎年、常連の人が多いのだが、新人(無理矢理引き込まれるケースが多いが)も数人出場して会場を爆笑の渦に導かせている。
もう一つに「ビデオ上映会」がある。
建て前はわらじの日頃の活動をビデオで紹介する戸言うものだが、毎年企画が凝っていて笑いあり涙あり?の作品に仕上がって入れる。このビデオを見るためにクリスマス会に来る人もいるくらいだ。

□スウェーデン福祉体験旅行 : 「埼玉福祉研究会」のメンバーが1980年に福祉先進国であるスウェーデンを訪問。
その報告は、『ハンディキャップ・レポート』(現代書館)にまとめられている。
国際障害者年の前、専門家でなく普通の障害者とその親たちが、スウェーデンの障害者たちと生活を共にして交流した点で意義深い。
翌1981年に同研究会は、「スウェーデン肢体不自由児・青少年協会(RBU)」を札幌いちご会等と共同で招いて交流することにつながった。

□はばたく家準備会 : 正式名称は「自立に向かってはばたく家準備会」と言い初期のわらじの中心とも言える活動母体。
ここからリサイクルの店がうまれたり、生活する場がどんどん広がっていった。
ちなみにこの「準備会」と言う名は今でもそのままだ。

□田口由利子/短期介護人: 草加にすむ田口由利子さんは草加市でホームヘルパー制度(障害者のいる家庭に家事サービス等派遣する制度)が始まる一年前に始まるまでと言う期間付きで同様なサービスを提供されたもの。

□リサイクル・パタパタ: はばたく家の店として春日部市大場にオープン。リサイクル、古本屋などに関わりつつ販売活動を続けてきた。
功績の一つとして春日部市役所のロビーで販売できることになったことがあげられるだろう。
また販売のみならず障害者のたまり場として活動の中心として位置したと言うことが非常に大きな存在ではなかったのではないだろうか。

□誰でも使える駅をつくる会: 当時、草加駅の近くにすんでいた野島久美子さんがエレベータを付ける運動をおこしたのがそもそもの切っ掛け。
今でも東武伊勢崎線の交通アクセス運動の中心となっている。

□新坂光子さん: 新坂光子(にいさかてるこ)さんは,少女時代、思春期、青春時代を「つぐみ部屋」でつぐんだ(座った)まま過ごした。
1990年4月「生活ホーム・オエヴィス」に入居し、半年後の9月に急逝した。
どんな重い障害があっても地域であたり前に暮らすことを目指した取り組みは、当時「自立生活演習」と名付けられていた。
光子さんは、その取り組みの象徴的な存在の人である。
1万円札で15枚を握らされた光子さんは、職員から「家賃でこんだけなあ、生活費でこんだけなあ」と次から次に1万円札をもぎとられていき、とうとう余すところ1〜2枚になったとき、なきべそをかいた。
そして翌日、昼食介助に来ることになっていた人を断わった。
昼食を抜いて、生活費を節約しようとしたのである。
生活ホームを作ることになったときはまた、「どの子も地域の公立高校へ」運動で、リレー座り込みで県庁廊下に寝泊りすることもあった。この闘いの日々で、県庁の廊下に光子さんは次の詩を残した(/=改行,//=一行空ける)。

「おれらは ねんねきり はいらねぇ/だから おやたちに みてもらってきた// ちいさいときは あぶねぇからって/いわれてそとにでらんねぇで/うちんなかでつぐんでた// おとなになっても ひしら(むやみに,やたら) つかっちゃ/おえねぇから(いけないから)って つうちょう もたせられねぇ// おやがとしとってからは ねんじゅう/ あにきのよめさんに はたらけねえもんは/くわねぇでいいんだって おこられる// でんどうに のせるひとが いねぇんで/うちでつぐんでいると けつがじょくそうで/いたくてこまる// おれらもかぞくのせやになんねぇで/まちのなかで いきてえ// いま みんなで まちにでたり はたけ/やつたりして がんばっている/おれらは いま せいかつほーむをつくって/まちで くらそうとしている// だけど いまの せいかつほーむせいどじゃ/おれらが くらすに かいごが たんねぇ/うちなおす かいぞうひもたんねぇ// おれらも まちで みんなとくらしたい/ちじさん かんがえてくんろ」

生活ホームに入居して暮らしが始まり、光子さんは「おらっちの生活は、じりつっつうのになってっかい」と度々質問していた。
光子さんの志は、施設や在宅の障害者が地域の暮らしを体験する「体験入居室」として引き継がれている。
わらじの会の拠点である「黄色い部屋」と「生活ホーム・オエヴィス」を行き来する道の、この道の端から手をのばせば届きそうなところにあるお墓に眠っている。

□風の子: もともと春日部で「障害者の働く場を作ろう!」ということで始まった会。
廃品回収等の活動を展開し、現在は授産所設立までに至る。
だが「地域で働く」を目標になおも活動展開中。

□トムテ : はばたく家準備会のメンバー二人がきっかけとなり始まったリサイクルの店。
「雇用促進法」という障害者の職場に助成してくれる制度をフルに利用し、経営を続けてきた。
若者が大変多く店が閉まるとメンバーで遊びふけるのもしばし、しかし店は最後は泥棒に立て続けに二回も入られ、あえなく店じまいと相成ってしまいました。

□わらじの会独自の有料ケアシステム: 在宅だった新坂姉妹に風呂介護などをする際に有料で始めたのがコレ。
これがきっかけで人脈が広がり、のちに始まる「ケア・システムわら細工」の前身的な役割も担っていた。

□生活ホーム・オエヴィス : 「生活ホーム」は、普通「グループホーム」と呼ばれている小規模共同住宅の埼玉県における事業名。
4人以上が基準で、埼玉県における「生活ホーム事業」の特徴は、肢体不自由者と知的障害者の「混住」を認めているところ。
混住形態は全国でも埼玉のみであり、このユニークな点を活かした経験の蓄積が期待される。
1998年度8月、県内44カ所の「生活ホーム」のうち、知的障害者の生活ホームは40、肢体不自由者が生活しているのは4。
この4カ所のうち「オエヴィス」「もんてん」を含む3カ所が「混住」である。
また、わらじの会の生活ホーム利用においては、身体障害者が先発し、知的障害者の人達がこれに続くことで混住となった。
1990年4月発足。新坂光子・幸子姉妹が、分家として建てられた平屋5DKに父と住むとい計画の矢先、父が他界してまい、当時県で始まった「生活ホーム事業」を利用し始めることなった。
定員4人の共同アパート形式。1室は「体験入居室」として運用し、様々な体験を蓄積するために養護学校生徒や地域在住の障害者が短期利用している。
「生活ホーム運営委員会」と、その「事務局」を設置し、より地域に開放した運営をめざしている。生活ホーム利用者で構成する「入居者会議」があり、自主的運営も基本とされている。
介助の手はその事業で賄えるかというととんでもなく、介助者確保のために「ケア・システムわら細工」を設立したのも、生活ホーム発足と深く関連している。
最初の二年は、介助者は安定しなく不安な日々が続いた。生活振りについては「オラッチの生活は自立っつうのになってっかい??」に詳しい。

オエヴィスの特徴の一つは、身体障害者と知的障害者の混住であること。
二つは、日常的に必要な介助は、主には障害者自身が個人契約した介助者によるマンツーマン体制であることである。
専従職員2名の役割は、基本的には運営上のコーディネート機能であるが、公的介護料の範囲を超えて介助を必要とする人や知的障害の人は生活保護の「他人介護料」以外に公的介護料制度はない等の点をフォローしている。
ちなみに「オエヴィス」の名前の由来は、七福神の「恵比寿 (障害者と言う説もあるが)」である。この地元の方言で「おえびすさま(大量豊作の神としてまつられていた)」と呼ばれることからカタカナ調でオエヴィスにしたということ。

□ケアシステムわら細工: 前述のように「生活ホーム・オエヴィス」と同時期に設立。
介助者の確保に明け暮れると書いても過言ではない。
わらじやその他の人脈はあったとはいえ初期は本当にたいへんだった。
今でも介助者探しは大変だが、利用者によってはそれぞれのネットワークが出来ているため、少しは楽??になった気がする。
これからは利用者の拡大や介護保険への対策が大きな課題となる。

□v365: 「 社団法人日本青年奉仕協会(略称JYVA)」が文部省や民間の協力を得て、1979年より実施している「一年間ボランティア計画」の通称。「わらじの会」も国内各地にあるボランティア活動先の一つで、1990年より受け入れ開始。
初代ボランティア矢野陽子さんの著書『まいにち生活です』(千書房)は、V365としての1年間の活動記録であると同時に、普段i触れることのない障害者という存在や、様々な形で関係をもちながら社会を生きている人間とその社会の一断面を、新鮮な外部者の視線によって捉えたものである。
外部者であるはずのボランティア自身も、社会と同様に複雑な関係の中の一部であるから、多様な人間関係やいろいろな状況と無縁ではありえない。否応無く周囲の日常に放りこまれ、周囲もまた巻き込まれざるを得ないのがV365の面白みでもある。
また、活動そのものは1年間という期間限定であるが、自分自身の現在を通して何らかの形で今も「わらじ」と関係のある人も多い。

□ぶてぃっく・ぶあく: トムテ2号店として春日部にオープンした。
障害者とおばさんの店として活動している。
現在は、知的障害者の介助制度の確立のための交渉の中心になっている。

□わらじ自立生活センター総合協議会: わらじもだんだんと大きくなってお金の事柄や全体的な問題については年に二回くらい開く「総合協議会」で話し合おうと言うことになり定期的に開くことになった。
後にわらじ全体の連絡調整が主な業務となる事務局も誕生することになる。

□社団法人・埼玉自立生活協会: 障害者の日常生活と「共に生きる」地域作りの生活事業を推進するために、1992年4月に認可された埼玉全県的な公益法人。
事務局は、埼玉県川口市芝新町4-25蕨グリーンハイツ(tel:048-269-4716,fax:048-269-4116)。
前身は「埼玉福祉研究会」。同研究会は、サービス供給事業体としての「埼玉障害者自立生活協会」と、幅広く運動を進める任意団体としての「埼玉障害者市民ネットワーク(埼玉県春日部市大場690-3 tel:048-737-1489,fax:048-436-7192)」に分化し、現在に至る。
1998年度事業については、県内各機関との連絡調整事業,生活ホーム事業,ケアシステム事業,相談・援助事業,普及啓発事業,調査研究事業の各事業計画案が総会で了承されている.

□ノーマライゼーション求める県内巡礼:

□春日部市障害者実態調査 :

□こばと館自立生活体験プログラム:

□なかまのつどい :

□全身性障害者介護人派遣事業 : 一人暮らしの全身性障害者や、それに準じた全身性障害者が対象の介護制度。当初は県単独事業であり、埼玉県は全国で3番目に実施された。
現在は、国の身体障害者ガイドヘルパーの国庫補助金を利用しており、国50%、県25%、市町村区25%の補助金がつく。
実施主体は市町村区で、市町村が実施しない限り制度は使えない。
事業が開始され、かつ派遣の必要性を認められた全身性障害者のみが利用できる。
特徴は、障害者自身が確保した介護者を各市町村に時給ヘルパーとして推薦・登録し、登録された介護人は推薦者である障害者のみの介護に派遣されること。
各市町村の制度の上限内で、派遣実績に基づき介護人に介助費が支給されること。「時給」「派遣時間数」に自治体間格差があることてある。
ちなみに厚生省では「派遣時間数」の上限撤廃を通知しており、埼玉県も上限撤廃を唱っているが、春日部市全身性は時給1000円、月64時間の派遣。
越谷市全身性は時給850円、月96時間の派遣。

□(福祉法人)つぐみ共生会 : 1995年8月、わらじの会が母体となって設立され、認可を受けた。
身体障害者通所授産施設「くらしセンターべしみ」を運営。
他に公益的事業として、二つの生活ホーム「オエヴィス」「もんてん」の事業を行っている。
つぐみ共生会の「つぐみ」は、生活ホームオエヴィスの大家兼入居者である新坂幸子・故光子姉妹が、人生の大半を過ごしてきた生家の奥の一室を、わらじの会内部で「つぐみ部屋」と呼んできたことに由来するネーミングである。
 「つぐむ」とは、越谷弁で「すわる」ことをいう。小学校1・2年で就学免除された姉妹は、「つぐん」で祖母から針仕事を習ったり、綿繰りの手伝いをして生活していた。

□ディケア・パタパタ : はばたく家の店パタパタをディケア事業として新たにスタートさせました。
ディケアで何かをやるばかりではなくわらじの様々な活動を通して地域にうって出る拠点みたいな感じで活動展開中。

□生活ホーム・もんてん: 1995年10月にオープンした2つめの生活ホーム、くらしセンターべしみの2階にある。
特徴や運営体制は、「オエヴィス」と同様。
「もんてん」の名前は「毘沙門天(びしゃもんてん)」に由来する。
「北方の的から護る」神であることからネーミングした。
北方の敵とは、ナンナンダ?

□くらしセンターべしみ(通所授産施設): 法律的には、身体障害者通所授産施設(定員20名)。1998年10月開所。
授産科目は「陶芸」「さおり織り」「パン焼」であるが、「作業に従事して工賃を上げる」というような行政の期待することを今だ追及できないでいる。
各授産科目の実施風景は、指導料のいらないカルチャーセンターという雰囲気がある。
有効的な施設活用は、いわゆる「措置者」以外の人の方が上手で、地域住民が粘土をこねたり、近隣在住の障害のある子供とその親がいつのまにかパン作りに参加していることも日常的光景。
では、「措置者」はどうかというと、わらじの会と関連する活動やその他の社会的活動などで施設「外」の活動に忙しい人も多いが、一方、施設「内」活動を盛り上げて工賃を稼ぐことが生活において切迫した課題である人もいる。
後者の課題には今だ応え切れておらず、今後の課題である。
「べしみ」の名前は、能面の一つである「大べしみ」「小べしみ」に由来する。大べしみは「天狗」に、小べしみは「人間」に力を貸すとされている.。

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